私の中の出光佐三:海賊と呼ばれた男

2013410日 ちょっと一息

出光佐三昨日、東京港区の明治記念館で「2013年本屋大賞」の発表会が開催され、百田尚樹氏の『海賊と呼ばれた男』が大賞に選ばれた。この小説は、民族系石油会社、出光興産創業者の出光佐三をモデルとしたものだ。

 

一昨日の夜、まったく偶然に、ある会食で出光の話題をしていたことも重なり、「出光佐三」と「明治記念館」という言葉がトリガーとなり、私の脳裏に26年前のことが高精度のデジタル写真のように蘇ってきた。

 

実は、私が縁あって社会人として最初のスタートを切った会社が出光興産なのである。このことは拙著「親が70歳を過ぎたら読む本」の最後の部分をお読みいただいている方はご存知と思う。

 

私は昭和62年(1987年)41日に出光興産に入社し、社会人としてのスタートを切った。その入社式が明治神宮で行われ、その後の懇談会が明治記念館で行われたのだった。

 

そもそも明治神宮で入社式を行う会社というのは、当時でも珍しかったと思う。私は、その入社式で初めて「二礼二拍手一礼」という神社参拝の仕方を学んだ。

 

明治神宮から程近い明治記念館で行われた懇談会では、結婚式同様に丸テーブルが複数並び、各テーブルに経営幹部一人と新入社員が6名同席した。メイン料理は鯛の尾頭付きに赤飯。26年前ですら、これほど日本の伝統的な形式での食事をする機会は意外に減っていたので新鮮だった。

 

懇談会冒頭の訓示は、創業者の息子である出光昭介社長(当時)だった。当時ですら、もはや創業者の出光佐三を見ることはできなかった。私が入社する6年前の昭和56年に亡くなっていたからだ。

 

次に挨拶をしたのが、出光計助相談役(当時)だった。出光佐三の末弟で、『海賊と呼ばれた男』のハイライトでもある日章丸事件の時、専務として虎の子のタンカー、日章丸でイランまで乗り込んでいった人だ。

 

計助相談役が講話された時、壇上に数人の経営幹部が登壇し、次のように紹介された。

 

「ここにいる人たちが、敗戦後何もかも失った時に、米軍から払い下げになった徳山の燃料廠の重油タンクにフンドシ一つでもぐりこみ、必死に油を汲み出す苦労を共にした人たちです」

 

こう書くと簡単だが、重油タンクの中にフンドシ一つで酸素マスクも着けずにもぐりこみ、中の油を汲み出すという作業がどれほど危険で過酷な作業であることか。想像を絶する厳しい作業は、汲みとった油を転売して、当座の売上にするためだったのだ。

 

このような、今では(26年前ですら)「信じられない、あり得ないこと」が現実に存在したのが、戦後の混乱期と高度成長期だった。

 

しかし、こうした出光佐三店主(出光興産ではこう呼ぶ)と苦楽を共にし、直接の薫陶を受け、日章丸事件や東洋初の大製油所である徳山製油所の建設などの「奇跡の体験」を共有した人たちは、私が入社した26年前ですら、役割を終えて姿を消しつつあった。

 

店主と子供たち新入社員教育研修の際に、小学生を対象に講演している出光店主の姿をビデオで見たことがあった。これが、店主がお話しになっている姿と声を聴くことができた生涯唯一の機会だった。

 



出光店主亡き後も店主の思想や経営に対する考え方を社員に伝える役割を担ったのが、店主室であった。一般の会社でいう社長室に近い。大きな違いは、出光佐三の生の言葉を記載した莫大な数の著書を発行していることだった。かつては入社すると、社員には何冊もの著書が配られたものだ。

 

『海賊と呼ばれた男』で描かれている史実の大半は、出光社内で発行されている店主の著書や資料をもとに書かれたものだと思う。だから、あの本の内容は、古手の出光社員やOBであれば、旧知の内容ばかりである。

 

店主が天皇陛下を深く崇拝し、私が在籍した頃は明治神宮で入社式を行い、正月には皇居に向かって敬礼し、天皇陛下万歳を会社の行事として行うことから、「出光は右翼の会社だ」とも言われることがあった。

 

また、同業他社の人たちからは「出光は変わった会社。出光とだけは一緒にやりたくない」などと揶揄されることもよくあった。

 

しかし、これらは出光のことをよく知らない人が何となく表面的なイメージから判断しての的外れな批判や誤解である。

 

出光佐三は、人間の可能性をとことん信じる「人本主義者」であった。同時に、あらゆる思想の良いところを取り入れる「超合理主義者」でもあった。

 

彼は「マルクスが日本に生まれていたら」という変わったタイトルの著書のなかで「共産主義ですらよいところがある。悪いところは捨てて良いところは取るべし」と述べている。

 

驚くことに、この著書が世に出た時、世界は米ソ冷戦の真っただ中だった。第二次世界大戦で敗れ、米国側に組み入れられた日本の一民間企業の経営者が「共産主義にもよいところがあるなどとは何事か!」と批判されたとのことだ。

 

天皇陛下を深く尊敬し、天皇陛下万歳を唱え、一方ではマルクス主義にも造詣が深く、共産主義にもよい面があると断言する。一見理解不能に見えるが、彼の思想は右か左かという二項対立的な単純なものを遥かに超越していた。

 

その帰結として、人間の可能性、日本人の可能性、日本と言う国の可能性をどこまでも疑わず、信じ切っていた。だから経営理念は「人が中心、人が資本、人間尊重」であった。

 

26年前の明治記念館での入社式で、社員にしか見せない特別な映画を観た。映画のタイトルは「日本人」。

 

出光佐三が神戸高商(のちの神戸大学)卒業後、他のクラスメートが官僚や大企業のエリートコースに進むのに対して、福岡・門司の日本石油の販売店に丁稚奉公するところから、この映画は始まる。

 

当時の私は「会社の宣伝映画じゃないか」とやや冷やかに感じていた。しかし、26年経って、あの映画のタイトルが「日本人」であったことの意味がようやく分かってきた気がする。できるものなら、あの映画をもう一度観てみたいと思う。

 

「本屋大賞」の受賞作は映画化されることが多いと言う。タイトルが「日本人」になるかどうかはわからないが、『海賊と呼ばれた男』も映画化され、もっと多くの人たちに出光店主のことが知られてほしいと思う。

 

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