年齢と創造性

スマートシニア・ビジネスレビュー 2006年11月29日 Vol. 97

tenjikai自分の住んでいる地域のイベントで毎年欠かさず参加するものに小中学生の科学展示会がある。

これは地域の小中学生が夏休みに実施した自由研究を展示するもの。 なぜ、毎年参加するのかといえば、これが面白いからである。

特に小学校低学年の子供の作品が面白い。

たとえば、「昆虫のからだ大たんけん」「ミミズのひみつ」「ビックリ紙パワー」といったテーマ選定の自由奔放さ。

当たり前のように思われている身近な対象から「へえー、そうだったの?」という意外な結果を引き出していることに気がつく。

また、報告内容の素朴さにも目を惹かれる。
先に挙げた「ミミズのひみつ」では、研究報告のなかに
「かなしいこと」という項目を設けて、次のような説明があった。

「シマミミズは落ち葉を食べると図鑑に書いてあった。だから8月5日にシマミミズだけべつべつにして落ち葉を入れました。2時間後、ついにかなしいことがおきた!なななんと!ミミズのおしりがきれていて元気がなかった。その落ち葉のとげで切れたのかな?と思いました。それを見て早く土のケースにいれました。ミミズは死にそうでした。ぼくは泣きそうでした。」

こうした展示会の楽しさは、子供たちの物の見方や表現の仕方に
“予想外”の刺激をうけることである。

しかし、一方で気になることもある。それは小学校低学年から高学年、
中学生と学年が上がるに連れて、だんだんとつまらなくなっていくことだ。

学年が上がるに連れて、いわゆる“科学研究”らしくなる。
たとえば、低学年では「マジック手書き」だったのが
中学生では「ワープロ」に変わり、
研究項目の呼び方も「わたしがかんじたこと」が「考察」に変わっていく。
先に挙げた「かなしいこと」のような項目は年齢が上がると決して登場しなくなる。

こうした変化の背景には教官による“科学研究”としての指導の影がちらつく。
研究発表としての論理的な組み立て方や実験データの整理の仕方など、
小学校低学年にはない“形式美”が強調されてくるのである。

だが、こうした“形式美”の導入が、大人が決め付けた“型枠”に
子供たちの自由なエネルギーをはめ込んでいるように思えてならない。

私は、この展示会を見て、拙訳「いくつになっても脳は若返る」の
最終章「創造性を引き出すもの」に引用されている
ノーマン・ポドレツの次の言葉を思い出した。

創造性とは「抑制されていない子供のエネルギー」と、
これとは対極の「訓練された大人の知性による秩序意識」とが
奇跡的にひとつになったものである。

異なる年齢の子供たちの作品が一同に会する展示会は、
年齢とともに子供のエネルギーに大人の秩序意識が植え付けられる
“プロセスの展示”のように見える。

スポーツでも武道でも何事にも基本が必要だ。
特に武道の世界は「基本型の習得」が大事にされる。
基本型というのは、その道の型枠であり、秩序である。

私自身かつて弓道に取り組んでいた時期があるので、
その意味は身を持って体験してきた。

しかし、基本型の習得ができたからといって
創造的な弓道プレーヤーになれるわけではない。

型枠を通じて習得しているのは、実は「秩序意識」である。
しかし、この秩序意識の習得の過程で、われわれが陥りやすいのは、
本来誰もが持っている「子供のエネルギー」自体をも
抑制する意識をもってしまうことだ。

実社会は自由なエネルギーを抑制されやすい制約が多い。
会社の都合、顧客の都合、家族の都合、親戚の声、世間体、など
挙げればきりがない。

しかし、こうした制約のなかで、
子供のような自由奔放なエネルギーを持ち続け、
それを表現できる力こそが大人に必要なのである。

それを「訓練された大人の知性」というのだと思う。

●参考

いくつになっても脳は若返る - 年齢を重ねてこそ湧き出る積極的な力

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