先見経済8月15日号 連載 親と自分の老い支度 第7回

senken-815全国1600か所で、1万7000人以上が取り組んでいる「学習療法」

 

認知症の予防には、(1)脳を活性化させる活動をする、(2)生活習慣病を避ける、(3)適度な運動をする、のがよいとされています。脳を活性化させる活動のなかでも、音読・手書き・簡単な計算とスタッフとのコミュニケーションによる「学習療法」は、全国一六〇〇以上の介護施設や自治体の健康教室に導入され、認知症の改善や脳機能の維持・向上に大きな効果を上げています。学習療法は、私が所属している東北大学加齢医学研究所の川島隆太教授、(株)公文教育研究会、および高齢者施設を運営する社会福祉法人・道海永寿会により開発されたもので、最近は海外からも高い関心が寄せられています。

脳の健康教室風景運営主体の(株)くもん学習療法センターによれば、認知症の人の脳機能改善を目的としたプログラムを狭義の「学習療法」と呼び、健康な人の脳機能維持・認知症予防を目的としたプログラムを「脳の健康教室」と呼びます。狭義の「学習療法」は、これまでに全国一二〇〇以上の介護施設に導入され、約一万二〇〇〇人の認知症の人の症状改善に大きな効果を上げています。また、「脳の健康教室」は、全国の自治体の約四〇〇の会場で、五〇〇〇人以上の人が取り組み、脳機能の維持・認知症予防に役立っています。

 

科学的根拠が明らかな「非薬物療法」

 

学習療法は、薬物を使わずに症状の改善が図れる「非薬物療法」の一つです。実はこれまで介護施設において多くの非薬物療法が取り組まれています。しかし、従来の非薬物療法の最大の問題点は、その療法が認知機能の改善に本当に有効であることの証拠となるデータがほとんど提出されていないことです。

これに対し、学習療法は、音読・手書き・簡単な計算が脳の多くの部位を活性化するという科学的事実に基づいて開発され、症状改善に有効であることのデータが研究論文として提出されています。

川島教授が、脳がどのように働いているかを、画像によってとらえるfMRI(機能的核磁気共鳴画像法)という装置で調べた結果、一桁の足し算などの簡単な計算問題を解いているとき、本を音読しているとき、手で文字を書いているときに、左右の前頭前野を含めた脳全体が活性化していることがわかりました。

一方、一生懸命に何かを考えているときや、テレビゲームをしているときには、一般的に想像されるほど前頭前野は活性化していませんでした。さらに、その後の研究で、スラスラと速く計算したり、速く音読したりするほど、脳がより活性化することもわかりました。

川島教授は、これらの研究によって「簡単な計算や音読を毎日行なうことで、左右脳の前頭前野が活性化し、それが効果的な刺激となって低下しつつある脳機能を向上させることができる」という結論を得ました。学習療法では、この考え方を根幹に前頭前野機能の維持・改善を図るプログラムを行なっています。

 

学習療法で、重い認知症の人の脳機能がよみがえる

 

学習療法は、次の二つの基本的な考え方をもとに行なう学習プログラムです。

 

1)「音読・手書き・簡単な計算」を中心とする、教材を用いた学習であること

2)学習者(認知症高齢者)とスタッフ(学習療法スタッフ)がコミュニケーションを取りながら行なう学習であること

 

この学習プログラムの研究が、福岡県大川市にある社会福祉法人・道海永寿会(永寿の郷)と共同で、二〇〇一年九月から始まりました。参加した高齢者の方は、七〇歳から九八歳までの四七人で、研究開始時点での平均年齢は八二歳でした。

研究の結果、学習療法をした人が、学習療法をしなかった人に比べ、明らかに、「前頭葉検査」(脳機能を評価する検査)の数値が向上し、脳機能が改善されるという結果が得られました。

また、その結果は、高齢者の前頭葉検査の数値が向上したことにとどまりませんでした。まったく無表情だった人が、学習が進むにつれて笑顔が戻るようになったり、さらに、おむつに頼っていた人が、尿意や便意を伝えることができるようになったり、ついには自分でトイレに行けるようになったりと、日常生活に大きな変化が表れたのです。

一人ではなく、相手がいるので楽しく続けられる

 

学習療法は、原則二人の「学習者」と、一人の「支援者」との組み合わせで実施します。その理由は、教材の学習だけでも脳機能改善効果があるのですが、支援者が学習者と上手にコミュニケーションを取ることで、さらに改善効果が得られるからです。

また、学習療法におけるコミュニケーションには多くの工夫が施されています。認知症になると、叱られたり、落ち度をなじられたりする機会がどうしても増えがちなのですが、これが一番逆効果なのです。

これに対して、学習療法では、たとえば、学習が終わった時点で、すぐその場で成果を認め、誉めるようにしています。このために、その学習者が必ず「満点」を取れるよう、その人のレベルに適した教材を選択し、学習における「達成感」を味わってもらうようにしているのです。

 

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、 誉めてやらねば人は動かじ」

 

これは、かつて連合艦隊司令長官山本五十六が言った有名な言葉ですが、認知症の人に限らず、人は誰でも「誉められること」が、最もうれしく、やる気が出るものなのです。

年を取っていくと他人に叱られたり、怒られたりする機会は増えても、誉められる機会は減っていくものです。まして認知症になると、これまで当たり前にできたことができなくなることで、周りの人から叱られたり、文句を言われたりすることが増えます。こうした背景もあって学習療法を行なうと、多くの方が心地よくなり、症状が改善していくのです。

 

認知症の予防を目的とした「脳の健康教室」

 

これまで説明した学習療法を応用して、認知症の予防を目的とした「脳の健康教室」が実施されています。脳の健康教室は、「健康な人」、または認知症に片足を踏み入れている「軽度認知障害の人」を対象にしています。全国の自治体の協力により四〇〇を超える会場で、のべ五〇〇〇人以上の人が取り組み、脳機能の改善に大きな効果を上げています。

あなたの親が、まだ認知症にはなっていないものの、物忘れが多くなってきたと思われたら、ぜひ、最寄りの脳の健康教室(運営主体:(株)くもん学習療法センター)で脳のトレーニングを行なうように勧めてください。


なお、九月より東北大学スマート・エイジング国際共同研究センターに「スマート・エイジング・コミュニティ 脳いきいき学部」が開講します。これは脳の健康教室の新しいブランド名で、初めて国立大学のキャンパス内に開設されるものです。

先見経済を発行する清話会のご好意により記事全文を掲載しています。

参考文献:親が70歳を過ぎたら読む本