古希を生きる① 人生、一度は光があたる
解脱2月号 連載 スマート・エイジングのすすめ 第2回
私は昨年縁あって「Mr.古希」という出版プロジェクトの審査委員長を務めました。プロジェクトの目的は、超高齢社会を迎え、定年後の生き方を模索するビジネスマンに、全国各地から募集する豊かなシニアライフの実例を紹介する「第二の人生の参考書」の出版でした。
全国各地から400点を超える作品が寄せられ、そこから50点が入選作品として選ばれました。今号から数回に渡り入選作品をご紹介しつつ、歳を重ねるエイジングの意味を考えます。
最初の作品は、大賞に選ばれた徳岡義之さんの「人生、一度は光があたる」です。徳岡さんは子供の頃から父親に「人生には一度は光があたる時期が来るから、決して諦めないこと」と耳にタコができるほど、聞かされていました。しかし、次の通り、還暦までの人生には、一度も光があたる時期はなかったと言います。
26歳で結婚し、28歳の時に長男を授かったものの、長男3歳の時に重度の情緒障害が見つかり、障害が治る可能性はないと宣告された。47歳の時に44歳の奥さんに先立たれ、生きる気力を喪失しかけた直後に、阪神淡路大震災が発生。徳岡さんの勤務する兵庫銀行は本店建物が崩壊し、倒産。その後、震災復興として新設されたみどり銀行も二年後に倒産。
「銀行は絶対に倒産しない」と信じ込んでいた徳岡さんは悪夢としか思えない銀行の倒産を二度も経験することになった。その後、他行に吸収され、みなと銀行とし存続。有能な同僚達は他に転職していったが、何の取柄もない徳岡さんは、流れに身を任せるしかなく、定年退職を迎える日が迫っていた。定年後は実家のある兵庫県西脇市で農業をしながら寂しく余生を過ごそうと決心していた。
もし、徳岡さんの人生がここで終焉していたなら、彼自身が言う通り、彼の一生はまったく光の当たらないものだったでしょう。
ところが、定年を目前にしたある日、「田舎へ一緒に行ってあげてもいいよ」と言ってくれる女性が現れました。彼女は亡き奥さんの友人でした。徳岡さんは彼女を新たな人生の伴侶として故郷で農業を始めることにしました。
農業経験のない徳岡さんにとって、文字通りゼロからのスタート。ところが、減反政策のためにやむを得ず始めたゴマ栽培が軌道に乗り、ヒット商品に。ゴマ栽培の話題がテレビや新聞などで大きく取り上げられるようになり、西脇市は全国でも有数のゴマ栽培の地として有名になりました。
さて、光の当たらなかった徳岡さんの運命の扉は、何によって開いたのでしょうか?定年退職直前に良き伴侶を得たことでしょうか?それともゴマ栽培というニッチ市場に目を向けたことでしょうか?
私は、これらも含めて彼が定年までに経験し、積み重ねてきた全ての結果だと思えてなりません。人生で起きる出来事の意味は、それが起きた時には必ずしもその意味が分からない。むしろ、本当の意味は何十年も後に見えてくることが多い。それは歳を重ねることで自己認識力が深まっていくエイジングの重要な側面なのです。
さらに、彼が父親の言葉「人生には一度は光があたる時期が来るから、決して諦めないこと」を蔑ろにせず大切にしてきたことも重要です。定年退職は人生の終着駅ではなく、人生の第二幕の始まりである。そして、いくつになっても、あきらめずに、前向きに努力し続ければ、誰でも自分の人生の花を咲かせることができる。
徳岡さんの生き方は私の好きな詩人・坂村真民の「念ずれば花ひらく」そのものです。
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