中越地震での被害状況

スマートシニア・ビジネスレビュー 2004年10月25日 Vol. 61

私の実家のある新潟県見附市を含む
中越(ちゅうえつ)地方で、大地震がありました。

7月の豪雨の時、不幸にして
毎日全国放送されるようになったと書きましたが、
今回は、それ以上の惨事となり、
未だに連日報道されています。

幸い実家の家族は、全員無事でしたが、
多くの方がお亡くなりになりました。
私の高校時代の同級生の、
中学時代の仲間も犠牲になったとのことです。

お亡くなりになった方のご冥福を
心よりお祈りいたします。

実家から離れて住んでいる身にとって、
最初に必要なのは安否確認です。
しかし、例によって、災害発生時には、
電話はまったく通じません。

7月の豪雨のときは、たまたま携帯電話が
つながりましたが、今回は全くダメでした。

NTTの災害伝言ダイヤルにも
メッセージを残したのですが、ダメでした。
最大の理由は、被災地の現場の人たちには、
それを使う余裕がないためです。

ありとあらゆる手段を講じて、最初の地震発生後、
2時間以上経過して、偶然、電話がつながり、
ようやく安否確認ができました。

実家は家中に亀裂が入り、
いくつかの戸が開かなくなったため、
父が、母や兄一家と共同で修繕したとのです。
見附市は、現在ガス、水道が停止。
幸い電気は供給されています。
電話は通じるようになりました。

ただ、震度5程度の余震が続いており、
家の倒壊の危険があるため、
食事とかは外のクルマの中で食べているそうです。

9・11のテロと似ていて、これで終わりと言うのがなく、
いつまた攻撃されるか(地震が来るか)わからないため、
不安が大きいようです。

倒壊した家の下敷きになり、
幼くして亡くなった子供さんの話を聞くと、
嗚咽を禁じえません。

新幹線も、鉄道も、道路も寸断されたままで、
こちらから何か救援物資を送りたくても、
送ることもできません。
新潟出身でありながら、大したことができない
自分の無力さが正直もどかしい。

そんななかで、嬉しい話もあります。

高校時代の同級生から、
実家のある越路町(長岡市の隣)に一人で住む
高齢のお母さんが無事だったという話を聞きました。

一人暮らしがゆえに、隣近所の人たちが、
いろいろと助けてくれたのだそうです。
高齢者だからといって、
災害弱者になるわけではない証拠です。

また、今回最も被害の大きい小千谷市では、
地震の直後に新生児が二人生まれたそうです。
こんな大地震のときに生まれてくるなんて、
まったく奇跡です。

この子供たちは、自分たちが大きな使命を担って、
この世に生まれてきたことを、
いつか知る日が来ることでしょう。

そして、何よりもありがたいのは、
あの阪神大震災を経験された神戸のみなさんが
新潟のためにいろいろと助けてくださっていることです。

7月の豪雨のときも芦屋の婦人会の皆さんが、
被害の大きかった三条市に
真っ先にかけつけてくださいました。

情に厚い雪国の人たちは、
こうした温かい親切を、
生涯忘れることはないでしょう。

以前から感じていましたが、改めて痛感するのは、
地震予知・予測という作業の無力さです。

政府の地震調査委員会は、今月13日に
地震のあった付近の断層帯が
今後30年以内に動いた場合に、
マグニチュード8程度の地震が起きる確率が
2%以下と発表したばかりでした。

偶然2%の確率の範囲に入ったという
屁理屈を言っても意味がありません。

むしろ、もっと注力しなければいけないのは、
いかなる災害が起ころうとも、
自立的に回復でき、生活し続けられるための
「適応力」を地域レベル、
そして個人レベルで強めることではないでしょうか。

予知できない地震予知のためのシミュレーションより、
地震は起こるもの、という想定での
レスキュー隊や物資運搬用のヘリコプターの
充実の方がはるかに重要なことは
被災者の方々が一番よくわかっています。

こうした適応力は、評論家による机上の空論ではなく、
実際の体験をつうじて身につける以外にありません。

私にとって最も説得力があり、参考になるのは、
阪神大震災を克服してきた神戸の人たちの声であり、
9・11を体験したニューヨークの人たちの声です。

そういう人たちの声のなかにこそ、
自立して生きていくために
「何が大切か」ということを教えてくれる
本当の力があると思うのです。

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