スマートシニア・ビジネスレビュー 2014324Vol.202

bokujohnアメリカのお年寄りが認知症の改善に取り組む様子を描いたドキュメンタリー映画「僕­がジョンと呼ばれるまで」が、公開20日で観客動員数1万人を突破しました。

 

31日から、宮城・仙台や東京、大阪などで上映が始まり、20日までに、全国9都市­1266人を動員。ドキュメンタリー映画としては異例のヒットとなっています。

 

この映画は、アメリカの高齢者介護施設に住むお年寄りが、薬を使わない認知症療法の「学習療法」によって症状が改善し、失いかけた家族との絆を取り戻す様子を­描いたものです。すでにご覧になった方々からは多くの心温まるメッセージが寄せられています。

 

映画への反響が大きいため、東京、大阪、仙台で異例の上映延長が決まったそうです。また、329日より名古屋と京都で、4月からは神戸と横浜で、さらには青森でも上映が始まるとのことです。映画人口の減少が言われるなか、ドキュメンタリー映画としては異例の上映延長らしいです。

 

実は映画の舞台は、これまで何度かこのブログでも紹介してきた通り、私ども東北大学スマート・エイジング国際共同研究センターとくもん学習療法センターが共同で進めている学習療法の海外展開の一環として20115月からアメリカ・クリーブランドで実施した科学的実証の過程です。

 

アメリカで学習療法が立ち上がった日

 

高齢化する世界と学習療法の未来


この過程を
仙台市に拠点を置く仙台放送が映像を記録し、ドキュメンタリー映画に仕上げたのです。

 

映画は2013年にアメリカで先行して公開され、アメリカンドキュメンタリー映画祭で観客賞(外国作品)を受賞しました。この観客賞は国内作品と外国作品に分かれますが、いずれもグランプリの位置づけです。日本の会社が制作したドキュメンタリー映画がグランプリを受賞したのは、これが初めてだそうです。

日本発の対認知症療法のドキュメンタリー映画、アメリカで最高賞受賞


さらに、ベルリン国際フィルム・アワード特別選考賞、ロサンゼルス・ムービー・アワード奨励賞を受賞し、クリーブランド国際映画祭ローカル・ヒーローズ部門及び女性監督部門でもノミネートされるなど、国際的にも評価されつつあります


10年以上前に東北大学の川島教授、公文教育研究会、そして福岡の高齢者施設永寿園の三者での共同研究からスタートした学習療法は、日本国内で1,500を超える高齢者施設でのべ19,000人を超える方に実施されるようになりました。

 

その後、私自身が深くかかわり、2年近い試行錯誤と悪戦苦闘を経て、前述の通り20115月に初めて日本以外の国・アメリカに導入されました。

 

その導入の詳しい経緯は拙著「スマート・エイジングという生き方」(扶桑社)に述べていますので、ご興味のある方はご一読ください。

 

アメリカでの検証の大きな目的は、日本発の非薬物認知症療法である学習療法が、アメリカの高齢者施設で、アメリカ人スタッフの手でなされ、アメリカ人の認知症入居者に果たして本当に効果があるのか、を実証することでした。

 

そして、1年間の実証を経て、その効果が言語や人種、文化の違いに関わらず有効であることが科学的に証明されました。

 

しかし、この映画の秀逸なのは、そうした検証であることをほとんど感じさせないことです。

 

John&Eve映画に登場する息子と娘は、認知症になった母親が徐々に自分を失っていく様子に失望し、仕方ないことだとあきらめの境地で見ていました。

 

しかし、学習療法に取り組むことによって、徐々に昔の母親が戻ってきて、一緒に外出できるまでになります。そして、ついにはかつて得意だった編み物ができるようになるまでに回復し、以前の母親らしかった頃の本来の母親に戻ったのを見て、息子と娘は思わず涙ぐみます。

 

映画に映し出されている、アルツハイマー病と診断された母親とその家族が絶望の淵から普通の生活に戻っていく事実が、科学データ以上に説得力があり、感動的です。

こうした家族の日常生活の変化を丹念に追いかけ、過度な脚色もまったくないカメラワークが、静かな共感を呼ぶのでしょう。

 

また、それぞれの場面に挿入されている音楽は、実際の認知症入居者の世代原体験としてのオールド・アメリカン・ポップスが流れるなど、随所にきめ細やかな工夫がなされ、登場する人たちの会話は軽妙でウイットに富み、ウッディ・アレンの映画を思い起こさせます

 

前述の通り、この映画の舞台であるクリーブランドでの検証が始まったのは20115月。あの東日本大震災が起きた311日からわずか2か月後です。

 

当時の状況からすれば、仙台市に拠点を置く仙台放送は、仙台市や宮城県、東北地方の震災絡みの報道で手一杯。この映画の監督でプロデューサーの太田茂さんご自身も、石巻市の親戚が被災し、大変なご苦労をされていました。

 

「何でこんな大変な時期にアメリカで悠長に取材なんかしているのか」との厳しい声も社内ではあったそうです。

 

しかし、日本で開発され、日本の高齢者施設で育まれた認知症療法が、日本以外の海外で役に立ち、世界中で増え続け、苦しんでいる認知症の高齢者とその家族を救えるかもしれない。

 

その最初の海外での検証という歴史的瞬間を映像に留めておくべき。志の高い仙台放送経営陣はそう信じたのです。

 

この映画は、500万人を超えると言われているアメリカの認知症患者とその家族にとって大きな希望になっただけでなく、日本発の「希望の光」のメッセージとして、世界中の多くの方に語り継がれていくことでしょう。

 

 

映画「僕­がジョンと呼ばれるまで」公式サイト

 

「スマート・エイジングという生き方」(扶桑社)