映画「アバウト・シュミット」に見る退職後の現実

スマートシニア・ビジネスレビュー 200359 Vol. 29

アバウト・シュミレット冒頭の退職シーンから最初の数分間を見て日本の多くの中高年の人は驚くことでしょう。映画に出てくるのが、あまりに「日本的」なシーンの連続だからです。アメリカにも「サラリーマン」生活が存在すること、そして大企業に長く勤めた人が、定年退職後に直面する課題に日米で大きな違いがないことを実感します。

 

この映画は、前回触れたAARPのThe Magazine最新号でも「2003年に成長する映画」の筆頭に挙げられています。アメリカの年長者たちにも共感を持たれている証拠でしょう。しかし、この映画を「アメリカ人による、アメリカでの、日本によく似たサラリーマン退職者による自分探しの映画」とみなすのは、余りに惜しい気がします。

 

近年のハリウッド映画はCGの発達で背景シーンは微細になった反面、ストーリーが単純化し、つまらないものが多いと思っていました。よい映画というのは、いろいろな解釈が可能な「複線的なメッセージ性」をもっています。そして、見る人間の立場や見るタイミングによって、豊かな想像を掻き立ててくれる力があります。

 

この映画は、久々にその典型です。それを理解するカギは、ジャック・ニコルソンという名優の起用にあります。

 

ジャック・ニコルソンが、名優としての評価を不動にしたのは、75年の「カッコーの巣の上で(One flew over the cuckoo’s nest)」に主演したときでした。この映画は当時のアカデミー賞5部門を独占し、ニコルソンが主演男優賞を受賞しました。この受賞に対して、厳しい映画評論家は「ジャックに比べたら他のハリウッドの俳優は小学生のようなものだ」と絶賛しました。

 

「カッコーの巣の上で」の舞台は、オレゴン州立精神病院。そこにニコルソンが送り込まれるシーンから映画は始まります。彼は、「治療」という名目で「洗脳」に近い管理体制を敷いている精神病院のやり方に憤りを感じ、「患者」たちに対し、あの手この手で羽目をはずす行動を先頭に立って伝えていきます。管理されることに当たり前のように慣れきっていた「患者」たちは、ニコルソンと共に過すことで、忘れかけていた自分の自由な意思を表現するようになっていきます。

 

しかし、そのようなニコルソンの存在は、病院の管理者から見れば危険人物に見えます。管理体制への抵抗者が、「ならず者」とみなされるのはいつの時代も同じです。若手患者の事件をきっかけに、怒りがこみ上げたニコルソンは、病院の責任者である婦長の首を絞めようとしますが、病院スタッフの反撃をうけ、失敗します。そして、堪忍袋の尾が切れた婦長により、ニコルソンは電気ショックでロボトミーにされてしまいます。

 

しかし、彼が入所してからの行動をじっと眺めていた人物がいました。「チーフ」と呼ばれる長身のインディアンです。そのチーフが、彼の意思を継いで精神病院から脱出するところで映画は終わります。

 

これに対し、アバウト・シュミットでのニコルソンは、立場が違います。自分自身が長年の大企業での生活で「サラリーマン的」な行動スタイルが染み付いた「患者」のような役です。数あるシーンの中で最も印象的なのは、娘の結婚式でのスピーチの場面です。娘の婚約者とその家族がどうしても気に入らず、結婚式の直前に娘のところに乗り込んで何とか翻意しようとします。しかし、結局、説得することができません。

 

いよいよ結婚式が始まり、披露宴で新婦の父親としてスピーチをする場面となります。ニコルソンの表情は、土壇場でどんでん返しを起こしそうな雰囲気です。しかし、結局、あれほど嫌っていた新郎一家に対し、感謝の言葉を述べてしまいます。ところが、その後、席を外してトイレに行き、一人悔しそうな表情で自己嫌悪に陥るのです。

 

このシーンに代表されるように、自分自身の意思を貫徹したいと思っても、常にどこか自分で抑制してしまう。そのような自分の枠を超えようとしても、超えられない自分に苛立ち、悪戦苦闘する役です。ラスト・シーンで、フォスターピアレントになったアフリカの子供からの手紙の絵を見て、「自己抑制された自分」から解放されるところで映画は終わります。

 

「カッコーの巣の上で」では、病院の「患者」に対して、糸口を提供する役割でした。一方、「アバウト・シュミット」では、自分自身が無意識の「患者」のようなものであり、自分自身で、もがき苦しみながら最後に糸口を見つけ出します。

 

管理されるということは、実は管理する人の存在が理由ではない。管理されることを、どこか心の中で望んでいる無意識の存在が真の理由だと示したのは、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」でした。管理的なものに対して、自分の意思を正面からぶつけ、闘うのは決して楽ではありません。それには、多大な精神のエネルギーが必要だからです。それより、決められた枠の中にはまる方が楽なことは多いのです。

 

しかし、その代償は、人生のどこかで必ずやって来ます。シュミット氏の場合は、それが退職直後にやって来ました。一方で、彼のようなケースは現状ではまだ多数派なのでしょう。リタイアして会社を離れ、管理されないことの「辛さ」を身にしみて知るシュミット氏。しかし、一方で、もがき苦しみ、初めて自分の意思で行動することの「素晴しさ」を見つけ出せたのは、幸福なのでしょう。

 

この映画は、退職前後の立場の人にとっては、他人事でない「現実」そのものです。まるで自分の姿を、カメラを通じて見せつけられるようなショックがあるでしょう。一方、若い世代にとっては、未来の「現実」です。それを想像するための一つの手立てとなるでしょう。何かを安易に過せば、いつか必ず何かの代償がやってくる。しかし、それがどの時期なのかは、結局、本人の選択なのです。ただ、人間が他の動物より優れているのは、未来を想像し、そこから何かを学ぶ能力を備えていることです。

 

よい映画というのは、そのことを教えてくれます。

 

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