人生100 年時代の到来─私たちのライフステージはどう変化していくのか

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介護経営白書2017-2018年版

日本医療企画が発行する「介護経営白書2017-2018年版」の冒頭に「人生100 年時代の到来 私たちのライフステージはどう変化していくのか」と題して私へのインタビューを基にした記事が掲載されました。

サブタイトル「新しい介護文化とイノベーション――介護現場・介護ビジネス・介護概念が変わる」の通り、この白書の大きなテーマは新しい介護文化です。それがどのような方向に向かうのかを理解するために、時代背景と今後の方向性について、次の観点から幅広く述べました。

【1】寿命はどのくらい延びるのか、人生100年時代は現実か
●平均寿命から健康寿命へ

【2】長くなった分、どう生きるのか――第二幕人生のテーマ
●人生100年時代をどう生きるのか
●ネットを使う高齢者の増加
●カーブスの成功要因
●介護のコモディティ化

【3】コミュニティのこれまでと今後――知縁でつくられる社会
●現在のコミュニティはネットと実社会とのハイブリッド
●アメリカのコミュニティづくり

【4】日本の教育の在り方――教育課程に介護を加え、人間力を育む

【5】介護経営の今後――オープンな環境下で人々の意識が変わる

以下に本文の一部を掲載しますので、ご興味のある方は、ぜひ本書を手に取って全文をお読みください。

日本の教育の在り方――教育課程に介護を加え、人間力を育む

高齢社会では、さまざまなパターンの教育が必要になるでしょう。1つは、高齢者を対象にした教育です。私たち東北大学では2012年から5年間、一般市民を対象にスマート・エイジング・カレッジを開催しました。定員は100人。こういう場で重要なのは、高齢者だけを集めないことです。高齢社会の問題は若い人と高齢者が一緒に考えることで前進するものだからです。

東北大学に限らず、多くの大学が、社会人を対象にした講座を用意しています。学生証が持てるからなど、参加理由はさまざまですが、複線型のキャリアパスに欠かせない社会人の教育環境については、かなり増えてきたといえるでしょう。

一方、先のスマート・エイジング・カレッジで自著の親が70歳過ぎたら読む本をベースにしたゼミも開きました。遺書の書き方、老人ホームの探し方、親が認知症になった時の相談先など、ほとんどの人が知らないと考えたからです。

実際、参加者の多くからは「知ってよかった」「もっと早く知っていればいい介護ができたのに」といった声が寄せられました。

このような経験から、次第に教育課程の一部に介護教育を入れるべきではないかと考えるようになりました。さらに、可能であれば高校卒業した年に3か月から半年程度、介護施設で働く仕組みを導入すべきだと強く思います。

多くの国では、高校卒業と同時に兵役があり、そこで大いに鍛えられます。兵役のない日本人は、その間、介護体験をすることで人間力を鍛えたり、視野を広げたりできるわけです。超高齢社会・日本ならでは政策ではないでしょうか。介護を経験した人間が増えれば、日本人の人間力が上がり、その結果さまざまな面で日本の国力は上がると思います。

介護経営の今後――オープンな環境下で人々の意識が変わる

これからの介護事業経営で重要なのは、あらゆることを他人事ではなく自分事だと認識することでしょう。すると、「自分だったらこうされたい」という風に相手の立場、顧客の立場から考えるようになります。

しかし介護業界は一般に介護保険報酬に依存したビジネス構造。介護事業者は政府が定めた手順にしたがってサービスを提供しているところが多い。だから国の方針が3年後に変わるたびに、右へ行ったり左へ行ったりするわけです。

そもそもは介護保険法にも書いてあるように、介護の目的は自立を支援すること。あれもこれも全部やってあげるのではなく、基本は自分でやってもらい、どうしてもできないことだけ、もしくはサポートが必要な部分だけ介護者はお手伝いをするというスタイルが重要です。

だから、入居している人には、時間がかかるかもしれませんが、できることはやってもらう。やってもらったほうが本人も喜びます。特に認知症の人は自分の役割ができるといきいきするものです。

たとえば、昔、すし職人だった人に包丁持ってもらうと、危ないという声もありますが、実際には包丁を持った途端にシャキッとするものです。また、ガーデニングが好きな人は畑に行くといきいきするはずです。このような一人ひとりに合わせた役割を見つけ、担ってもらうことが、本当の意味での顧客中心のケアです。

イギリスのトム・キットウッドが提唱したパーソン・センタード・ケアという言葉がありますが、本来当たり前のことなのです。言い換えれば、現実が当たり前の状態になっていないので、わざわざそんな言葉があるわけです。

そういう意味で、すべてにおいて海外が優れているわけではありません。学ぶべきことは学びますが、盲目的に北欧が一番、この国のやり方はなんでもいいと無批判に受け入れることは禁物です。外国にかぶれないのも、ある意味、事業者の自立でしょう。個人的には、「日本版CCRC」といった言葉を使うことも疑問です。

最近、日本式の介護サービスの輸出に対する期待が膨らんでいます。しかし、そもそも日本式介護ってなんでしょうか。「日本式のおもてなしの気持ちを持って」といった曖昧な説明に終始している場合も少なくありません。

私は日本の介護のもっとも素晴らしいところは、プロとして誇りを持って利用者さんに尽くす、こういう職業観を持っているスタッフが多いことだと思います。しかも、若いスタッフがしっかりしている。このような国はアジアでは日本くらいしか見当たりません

他の国、たとえば中国では介護の仕事をしていると言うと、「そんな仕事、好んでするものではない。そんな職業についていると結婚できない」と平気で言われます。そうした感覚は、30年前の日本にもありました。中国が現在の日本のようになるにはおそらく30年かかるでしょう。

また、シンガポールや香港では、介護を外国人労働者に託しています。介護の訓練を受けたことがない家政婦が行うことが多いので事故も多いのが現状です。

ツールの使い方に対する発想の違いで、将来は介護業界の発展の姿も大きく変わるかもしれません。たとえばロボットの導入。外国人に介護を託している国では、ロボットは人件費を削るために導入しようとします。人間がロボットに置き換えられるという発想です。

しかし、日本ではロボットは腰痛予防など人間の能力を最大限生かすためのツールとしての位置づけが求められます。ロボットはあくまで介護者のアシスタントとしての位置づけで、あくまで中心は人です。

ところで、一昔前は、有料老人ホームなど高齢者施設をつくろうとすると、付近の住民から住民運動が起きたものです。迷惑施設だからそれができるとそばにある自分の家の資産価値が下がるというわけです。

しかし、今は高齢者住宅が街中にできても住民運動など起きません。これもこの10年で大きく変わった部分です。介護保険の普及とともに、高齢者住宅という存在も身近になったわけです。

次のステップは、クローズだった高齢者住宅が地域に対して少しずつドアを開いていくことです。地域に対してオープンになれば、地域住民による支援も受けやすいし、地域の人も身近にそんな良いところがあるなら、いざとなったらお世話になりますといった関係になっていくでしょう。それが理想的な姿ではないでしょうか。

親が70歳になったら読む本

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