便利な時代の不便さ

スマートシニア・ビジネスレビュー 2008年11月15日 Vol.123

100年前の名演奏がダウンロードで聴ける

音楽ネット配信サービスiTunesで
配信される曲の種類が飛躍的に増えている。

例えば、往年の名指揮者ブルーノ・ワルター
戦前のウィーンフィル時代に録音した
マーラーの交響曲9番のライブ演奏が手に入る。

この演奏は作曲者の友人で良き理解者であったワルターが、
ナチスからの迫害を受けてアメリカに亡命する直前の
1936年に世界で初めて録音された歴史的演奏である。

また、1929年に録音されたセルゲイ・ラフマニノフ
ピアノ協奏曲第2番の作曲者自身による演奏も手に入る。

第一楽章の冒頭の鐘の音をイメージした箇所は、
分散和音で弾かれることが多いが、
手の大きなラフマニノフが分散和音ではなく同時に打鍵している。
こうした作曲者の意図がよくわかり、興味深い。

これらの演奏は全てSPレコード時代に録音されたもので、
LPレコードの時代に復刻版が売られていた。

だが、こうしたLPですら、当時は庶民にとって高嶺の花で、
ごく一部の金持ち音楽好きしか入手できなかった。

それが、今では自宅のパソコンで、数百円で入手でき、
数分でダウンロードした後、直ぐに聴くことができる。

年配の方で上記の“幻の名盤”をレコード時代に
入手できなかった方にとっては隔世の感を禁じ得ないだろう。

何かが物足りないダウンロードの楽曲

早速私もネットで購入して聴いてみた。
しかし、である。

何かが物足りない。

LPによる復刻版よりも音の濁りが少なくなり、
音質は明らかに向上している。
にもかかわらず、何かが物足りない。

かつて憧れの名盤に出会ったときに感じた
「ときめき」や「達成感」がないのだ。

私がまだ学生の時は、アナログレコードの時代だった。
乏しい生活費から飯代を削って欲しいLPを買っていた。

ただし、欲しいと思うLPでも直ぐには買わず、
あの手この手で、そのLPに関する評判情報を手に入れ、
満を持してレコード店に行き、予約をした。

レコード店は新品の場合は割引で買える大学生協、
中古の場合は街の中古レコード店だった。
注文してからは到着予定日をわくわくして待ち焦がれた。

こうしてお目当てのLPを手に入れると、
アパートの部屋で、LPのジャケット写真をじっくりと眺める。

ほこりがつかないように静電気を抑えるスプレーを盤面にかけ、
クリーナーで丹念に磨いてから、ターンテーブルに乗せる。

カートリッジを自分の手で最初の溝まで移動させ、針を下ろす。
そして、最初の音が出た瞬間、
お目当ての名盤に自分がたどり着いたことを実感する。

購入したLPが残念ながら「はずれ」の場合も時々あった。
飯代を削ってやっとの思いで購入したLPが
はずれた時のショックは大きかった。

だから、次は絶対はずさないようにしようと思いながら、
クラシック初心者の時期には、結構はずすことが多かった。

物事は何かが便利になると何かが失われるようになっている

今振り返ると、こうしたプロセスを何度も踏んで、
多少なりとも良い演奏、自分なりの名盤を見分ける
目や耳を養った気がする。

音楽ネット配信サービスが登場したおかげで、
一部の金持ちだけのものだった名盤を、
誰もが手軽に手に入れられるようになった。

だが、物事は何かが便利になると、
何かが失われるようになっている

新幹線の普及で高速に移動できるようになると、
旅のプロセスをゆったりと楽しむ旅がやりにくくなる。

電子メールで瞬時に文章のやりとりができるようになると、
直筆の手紙を書く機会が減る。

かつて、フランスに留学していた頃、まだ電子メールはなかった。
自費留学の貧乏学生の身にとって国際電話はあまりにも高価で
日本にかける時には覚悟が必要だった。

そんな頃、片道一週間かかって届く直筆の手紙が、
異国での孤独な生活に萎えそうな自分にとって
何よりの癒しとなった。

便利になることは、かつて日常的に存在した
苦労する機会が少なくなること。

便利な時代とは、苦労する方法を探すことに苦労する
「不便な」時代なのかもしれない。