スマートシニア・ビジネスレビュー 2005年6月1日 Vol. 69
少し前に自宅近くの女子大の学園祭で、
町の福祉団体が「高齢者疑似体験コーナー」
というのを催していました。
その中身は、小学生を対象に
おもりのついた服を着せたり、
子供の手足におもりが埋め込んである
サポーターを巻くというものでした。
さらには、視界が極端に狭くなる
サングラスというのもありました。
何のためにこういう「体験機会」を設けるのかを
コーナーの主催者に尋ねたところ、
担当の女性から次の回答が返ってきました。
「こういう体験によって子供に
高齢者へのいたわりの気持ちが湧くのです」
その言葉が、福祉団体の何の悪意もなさそうな
女性のものだったので、
逆にこうした疑似体験の落とし穴を
強く感じざるを得ませんでした。
私はこの話を聞いて、一昔前に流行した
バーチャル・リアリティ(仮想現実感)
のことを思い出しました。
バーチャル・リアリティとは、
コンピュータ・グラフィックスで作られた映像を
ヘッドセットと呼ばれるゴーグルを通して見ることで、
実在しないものを現実のように見せる技術です。
この技術を使ったゲームが一時期もてはやされ、
バーチャル・ゴルフやバーチャル・スキーなどの
ゲーム機が大流行したこともありました。
しかし、バーチャル・リアリティの欠点は、
その名に反して「リアルな感じ」、
つまり「実感」がしないことです。
すでに現実に存在しているものを
最高の仮想現実感技術で表現しても、
それは「現実」以上にはなりえないからです。
「実感」というのは、仮想現実感技術が
優れているから感じるものではない。
むしろ、それが「我が身のこととして感じる時」、
つまり「当事者」としての立場に立って
初めて感覚できるものではないでしょうか。
したがって、小学生に
高齢者の肉体的変化を疑似体験させても、
肝心の小学生には、さっぱり実感が湧かず、
高齢者へのいたわりの気持ちも湧かない、
というのが実態でしょう。
そもそも、子供が高齢者に接しようと思うのは、
高齢者への「いたわりの気持ち」からなのか、
という疑問が湧きます。
「いたわる」という言葉は、
岩波国語辞典によれば、
「老人や子供や弱い人などに同情して
親切・大事にあつかう」とされています。
この表現からも明らかなように、
「いたわる」という言葉は、
老人や子供や弱い人「以外の人」の
視点での言葉なのです。
子供が高齢者と接したくなるのは、
むしろ、子供にとって良い意味での
「メリット」があるからではないでしょうか。
一緒に遊んでくれる。話が面白く、ためになる。
威厳があって格好いい。そばにいると何とも楽しい。
こうした人間としての魅力にあふれた
高齢者と接する「実体験」の方が、
高齢者疑似体験よりもはるかに
子供の成長につながることでしょう。