スマートシニア・ビジネスレビュー 2006年5月1日 Vol. 86
プラズマディスプレイなどの大画面テレビが
一昔より安くなってきました。
家庭で手軽に迫力のある映像を楽しめる
ホームシアターセットとして購入するのは、
50代以上の人が多いようです。
デジタル放送技術と大画面テレビの発達により、
いまや私たちは家に居ながらにして
遠いポルトガルの田舎の祭りから、
アフリカのサバンナの珍しい動物まで、
手軽に美しい映像で見られるようになりました。
しかし、エアコンの効いた快適な部屋の中で見る、
高画質の大画面から映し出される映像が美しいほど、
あたかも現地のことを知ったかのような
表層的な満足感に陥ってしまいがちです。
歌手の小室等は、秋田の村でコンサートをした際、
現地の人たちが彼を送り出す時に、
地元の長持唄を歌ってくれたことに感激して、
次のように語っています。
「僕の音楽はある意味、運べる音楽なんです。
東京から運んできて皆さんに聴いてもらえる、
そんな仕組みの音楽なんです。
けれど、彼らが歌ってくれた長持唄は運べない音楽。
そこに行かなければ聴くことのできない、
感じることのできない音楽なんです」
ハイビジョンなどの高画質な映像技術と
デジタル通信技術の組み合わせにより、
遠く離れた秘境や戦場のシーンをテレビやネットという
メディアを通じて“運ぶこと”ができるようになりました。
ところが、そうして運ばれた映像とは、
実はまだ“運べるもの”だけを運んでいるに過ぎません。
それを“ハイビジョン”や“プラズマディスプレイ”といった
化粧箱を通じて見せられると、美しい映像が
まるで全ての真実を語っているかのように錯覚してしまいます。
しかし、一見リアルな映像で“運ばれてくるもの”の裏には、
その映像では“運ばれていない”多くのものが存在します。
デジタル技術の発達が私たちに示しているのは、
そうした“運ばれていないもの”を知るために、
自分自身が、自分の目で見て、
体で感じることの大切さではないでしょうか。
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