スマートシニア・ビジネスレビュー 2011年4月28日 Vol.151
3月11日の大地震以降、何度も耳にした言葉に「想定外」という言葉があります。
「想定外の地震だった」「津波の規模が想定外だった」「原発の自家発電が動かなかったのは、想定外だった」などの表現です。「想定内」の出来事であれば対応できるのは当然です。
しかし、「想定外」の出来事が現実に起こった時に、人間はどんな対応が可能なのか、どう対応すべきなのかの議論が少ない気がします。
先週の初めに訪れた南三陸町の知り合いから、こんな話を聞きました。
「海のそばに住んでいる人には津波の犠牲者はほとんどいない。多くの犠牲者が出たのは、山側に住んでいた人だ」
こうした事実は、現地でしか知りえないもので、メディアの報道では決して知ることはできません。国道で南三陸町に入る時に、私がまず驚いたのは、海から1キロ以上は離れていると思われる山間部にすら津波による瓦礫の山があったことです。
先の知り合いはさらに、こう話してくれました。
「海に近い住民は、地震発生=津波が来ることを知っているので、すぐ高台に退避した。ところが、このあたりの住民は、まさかこんな所まで津波が来るとは全く思っていなかった」
他の地域と同様、南三陸町でも巨大津波想定の基準は、1960年のチリ地震での津波の高さ、6メートルでした。町の防潮堤もこの高さを想定したものになっていました。
しかし、現実には、10メートルを超える津波が押し寄せ、町全体が吹っ飛ばされたのです。
私自身、その凄まじい光景を見て、呆然としました。いくつかの鉄筋コンクリート製の建物を除いて、360度、がれき以外に何もない。まるで爆撃機の空襲で一瞬にして壊滅させられた町のような光景でした。
一方、私の友人の親戚の男性は、海抜6メートル程度の高台の家に住んでいました。チリ津波の高さを想定してのことです。
ところが、その高台にも津波がやってきました。幸い本人と家族は津波が到着する前に、裏山に退避して全員無事でした。「なぜ、高台にいたのにさらに逃げようと思ったのか」と彼に尋ねたところ、次の答えが返ってきました。
「地震が起きてから海をずっと見ていて、津波が防潮堤を超えたのを見た瞬間、危ないと思った」
この話を聞いて、私は、想定外の出来事が起きた時に何が大切なのかを教えていただいた気がしました。
それは、想定外の出来事が起こった時には、まず、出来事の状況を「自分の目」でよく確めること。
知人の場合、津波の状況がよく見える位置にいたこと、そのために刻々と変化する状況を逐一確認できたのです。これに対して、前掲の山側の場所では、山間部のため視野が狭く、津波の襲来を確認できなかったものと思われます。
次に、状況変化に応じて瞬間的に判断し、判断と同時に行動に移すこと。これは、「直観的反射神経」とも呼ぶべきもので、危険を察知した動物が危険を避けるためにとっさに行動を取るのと同じ能力でしょう。
人間は、想定できること以上のことは想定できません。だから、地震予知や津波予知のような想定不可能なことに莫大なカネをかけるのは意味がありません。
それより、一人ひとりが、日常生活の中で、「直観的反射神経」を鍛えられるような訓練に注力する方が、よほど重要ではないかと思えてなりません。