スマートシニア・ビジネスレビュー 2006年4月6日 Vol. 85

teinen団塊世代の定年退職を見越した
「セカンドライフ・セミナー」といったものが
最近いろいろなところで目に付きます。

ところが「セカンドライフ」という英語はありません。
これは明らかに和製英語です。
実は私自身もかつて使用していたことがあり、
反省の意味も込めてこのメッセージを書いています。

「セカンドライフ」という和製英語は、
恐らく「第二の人生」という日本語を
”英訳“したものと思われます。

したがって、問題はむしろ、
「第二の人生」という言葉にあります。

「第二の人生」という言葉は、
会社などの勤務先の“定年退職”を基準に、
定年前を「第一の人生」、定年後を「第二の人生」とする
考え方からきたものです。

しかし、この考え方は、
“定年退職”という「勤務先の制度を基準」に
個人の人生を区分する考え方です。

日本には、こうした会社などの勤務先を基準に
個人の人生を区分する「勤務先本位」の価値観が、
まだまだ蔓延しています。

たとえば、「社会人」という言葉もそうです。
今週は企業や省庁で入社・入庁式が行われ、
多くの若者が「社会人」の仲間入りをしたとの
報道が相次いでいます。

しかし、こうした入社・入庁をしない人、
例えばスポーツ選手や写真家、農家、起業家などは
社会人ではないのでしょうか。

立派な入社・入庁式のある勤務先の「サラリーマン」になることが、
あたかも「社会人」になることであるかのような
決め付けがなされている気がしてなりません。

参考までにアメリカではごく一部の職種を除くと、
定年退職という制度はありません。
年齢による強制的な退職を法律で禁じているからです。
また、アメリカは労働流動性が一般に高く、
キャリアアップのために職場を変わることはよくあります。

このような背景から、勤務先の制度を基準に、
個人の人生を「第一の人生」、「第二の人生」とする
考え方はありません。

アメリカのものが何でも良いとは思いませんが、
自分の人生の選択権を勤務先の制度に委ねず、
あくまで自分自身で決めていくことが
社会通念となっている点は優れていると思います。

人生の巡り会わせで出会った勤務先との縁は
もちろん大切にすべきと思います。
しかし、勤務先に「社員としての人事権」は渡すとしても、
「人生の選択権」までは渡す必要はないでしょう。

そもそも、「ライフ(人生)」に
「ファースト(第一)」も「セカンド(第二)」もありません。
なぜなら、人生は一回きりであり、
その人“固有の唯一”のものだからです。

「セカンドライフ」という
“他人に作られた”言葉に踊らされること無く、
一回きりの人生はあくまで
“自分で創りたい”ものです。

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