人は「わくわく」すると消費する

保険毎日新聞 連載 保険業界はシニアシフトにどう対応すべきか?第6回

シニアのストックが消費に回りにくい理由とは

一般に、シニアの資産構造は「ストック・リッチ、フロー・プア」である。ストックが多いからといって日常消費も多いとは限らない。日常消費はおおむねフロー、つまり月間所得に一致している。退職者の割合の多い60代、70代の所得は、50代に比べて当然少なくなる。

だから、日常消費であるフロー消費をすくい上げるには、相当きめ細かい緻密なアプローチが必要となる。シニアシフトに最も注力している小売業は、まさにその最先端の活動を行なっている。

一方、シニアの消費をさらに促すには、フロー消費をすくい上げるだけでなく、ストック消費を促す商品やサービスの提案が必要だ。そもそもシニア世代は若年世代に比べて多くのストックがあるのに、なぜそれが消費に回りにくいのか。その最大の理由は、将来の不安である。

人間は、漠然とした将来の不安があると財布の紐が固くなる。いざという時に備えるために、普段はなかなか財布の紐を緩めない。しかし、その財布の紐を緩め、ストック消費につなげるアプローチがいくつかある。実は、それは私たちの脳を中心とした身体の変化に関係する。

年齢による脳の構造変化の意味

私たちの大脳は、外側の灰白質と内側の白質との2つの部位に分けられる。灰白質は神経細胞の集まりで、コンピュータで言えば、電気信号を発信するCPUである。それに対して、白質は神経線維で、コンピュータにたとえればチップ同士をつなぎ、電気信号を伝達するネットワークである。

私たちの脳というのは、無数のチップが無数のネットワークでつながっているという構造をしている。東北大学加齢医学研究所には、これが年齢とともにどうなっていくのかを実際に人間の脳を10年間追いかけて計測したデータがある。

これを見ると、年齢とともに神経細胞の体積は直線的に減っていくことがわかる。ショックなのは、神経細胞は50歳とか60歳とかではなく、20歳を過ぎた頃から直線的に減っていくことだ。男女に有意差はない。

一方、神経線維は、これとは逆に年齢とともに少しずつ増えていくことがわかる。そのピークは、だいたい60代から70代の間となる。それを過ぎると減っていくが、80代でも20代と同程度の体積がある。いったい、これは何を意味しているのか。

まだ科学的に証明されたわけではないが、神経線維が増えていくというのは、どうも私たちの直観力とか洞察力といった知恵の力に関係がありそうなのだ。もっとやさしい言葉で言えば「年の功」

つまり、齢を取っていくと、計算したり、記憶したりするスピードは落ちるが、もっと高度な深い知恵の力は、年齢とともに増えていくようなのだ。言い換えると、脳の潜在能力は年齢とともに発達していくのである。

団塊世代の多くが「解放段階」

ジョージ・ワシントン大学の心理学者ジーン・コーエンが、45歳以降の人の心理的発達の段階は「再評価段階」「解放段階」「まとめ段階」「アンコール段階」の4段階に分かれると述べている。

ちなみに、コーエンは、著名な発達心理学者エリック・エリクソンの弟子である。エリクソンが50歳以上の人の発達を「成熟期」としてひとまとめにして大雑把な研究しか残さなかったことから、弟子であるコーエンが考察を深めた経緯がある。

コーエンは、50代中盤から70代前半にかけての段階を「解放段階」と呼んでいる。日本の団塊世代は、ちょうど「解放段階」のど真ん中にある。この解放段階においては、何かいままでと違うことをやりたくなる傾向がある。

たとえば、サラリーマンを早期退職して沖縄に行ってダイバーになる。あるいは、ずっとパートでレジ打ちをやっていた女性がダンスの先生になる、といった具合だ。こういう一種の「変身」が起こりやすくなるのがこの段階の特徴だ。

なぜ、60代前後に「解放段階」が訪れるのか。1つは、前述のとおり、脳の潜在能力が発達し、新たな活動や役割に挑戦するエネルギーが湧きやすくなっていることだ。もう1つは、この時期には退職や子育て終了、親の介護の終了などライフステージが変わりやすいためだ。これがきっかけで心理面の変化が起きやすくなるのだ。

もう人生長くないのだから、自分のやりたいことをやろう、という気持ちが強くなる。すると「インナープッシュ」と呼ぶ自己解放を促す精神のエネルギーが起きやすくなると、コーエンは述べている。

インナープッシュには衝動、欲求、憧れなどいろいろの形態があるが、これが消費のきっかけになる。私は、このような形態の消費を「解放型消費」と呼んでいる(解放型消費の詳細については、拙著『リタイア・モラトリアム』をご一読ください)。

シニア世代に「解放型消費」が起きるには、商品・サービスに次の3つが関係していることが重要だ。1つめが「わくわくすること(Excited)」、2つめは「当事者になること(Engaged)」、3つめは「勇気づけられたり、元気になったりすること(Encouraged)」である。私はこれらを「3つのE」と呼んでいる。

人は「わくわく」すると消費する

以前、50代以上の人のライフスタイルを応援する雑誌『いきいき』で、「ボストン・ワンマンス・ステイ」という商品を提案した。これは単なる観光旅行ではなく、憧れの街ボストンで1か月、住むように生活しながら英語を学ぶという知的体験型の旅行商品だ。

日本とボストンの往復飛行機代、ホテル代、食費、英語学校費用、ハーバード大学などボストン市内観光費用などすべて込みで価格は1人120万円。かなり高額に思われるが、告知2週間で30人定員が完売した。

商品企画の前段階で、読者からそれまで寄せられていた多くの声から、50代・60代の女性を中心に「何かを始めたい」「リセットしたい」「変わりたい」「いまだから学びたい」という内的衝動を持った人が多いことがわかっていた。そこで、それを後押しする企画にして雑誌で告知したのだ。

30人というのは、消費財を売る人数ならば決して多くはない。だが、個人の女性が1人120万円を出すことの意味を考えてほしい。齢を取っても、わくわくしたい、もう一度夢を見たい、という人がシニア層にも少なからず存在する証拠である。

50歳になっても、60歳になっても、70歳になっても、わくわくしたい人はそれなりにいるのだ。私はこういう消費形態を「わくわく消費」と呼んでいる。

先行き不透明感が強まる時代だからこそ、逆にこのような心理的わくわく感を後押しする「わくわく消費」はさらに求められていくだろう。保険業も知恵を絞って、こうしたわくわく消費を支援する保険商品をどんどん企画・提案していくべきだ。