解脱4月号 連載 スマート・エイジングのすすめ 第4回
定年退職後の夢も、実現する連れ合いも同時に失う
横田さんは、長野県園芸試験場でリンゴ栽培の専門家として16年間務めた後、岩手大学に新設された果樹園芸学講座に転出しました。
新設講座なので果樹園作りから始めなくてはならず、長野を去る際にもらったブルーベリーの苗木を植えました。
その年、岩手県は大冷害に襲われ、秋になっても穂も出ずに枯れる水田が連なる。その光景は哀れさを通り越して恐怖でした。
そんな中、順調に成長し、花をつけたブルーベリーの果実は東北の農家を救う希望の星のように見えました。
5年後に定年を迎える60歳、横田さんは奥さんと相談して定年後は果樹農家としてリンゴとブルーベリーを栽培することにし、各地の土地を見て歩いては夢を語り合いました。
ところが、その一年後、奥さんの体調が激変し、いくつかの診療科を回ったが回復せず、最後に神経内科で進行性のALSで余命は半年と診断され、その診断通り六ヵ月後に旅立ってしまいました。
定年退職後に果樹園を持つという夢もそれを実現する連れ合いも同時に失い、横田さんはしばらく茫然自失の日々を送ります。通常であれば、ショックで生きる気力を失い、自身も健康を害していくことが多いでしょう。
若い世代との交流が転機に
ところが、その横田さんが再び生きる力を得る機会がやってきました。
岩手大学時代に指導していた岩手県の果樹栽培者の皆さんです。ただ茫然とその日を送っていた横田さんを果樹園に連れ出し、俺たちの息子をニュージーランドまで連れて行ってくれという依頼を受けたのです。
実はニュージーランドは在外研究員として亡き奥さんと過ごした思い出深い国であり、絶対に行きたくない国になっていました。
しかし、知識欲旺盛で活気のある若者5人とのニュージーランドへの旅は感傷に浸る余裕などなく、研究所や果樹園を見れば対抗心のようなものが込み上げてきて、いつしか横田さんは、つき物が落ちたように気分が軽くなっていきました。
横田さんは、奥さんという相棒がいなくなり、果樹園を持つ夢は消えました。しかし、横田さんを必要としている人々がいる限り、それらの人々の役に立つ存在でいようと思うようになっていったのです。
今度は自分が肺がんに
ところが、新しい道に踏み出した退職4ヵ月後、定期診断で肺がんが見つかりました。
タバコを吸わない横田さんにとってはまさに青天の霹靂。左肺上葉の摘出手術を受けた後、娘さん一家が仙台に住んでいたので再発・転移の恐れも考え、仙台から一時間の蔵王町に中古の別荘を買って移り住むことにしました。
普通の人なら、このあたりで仕事を辞めて静かに余生を送ることでしょう。
ところが、年が明けると、横田さんは大学の講義、各地での栽培や剪定講習会に呼ばれて、以前と同じような忙しい生活に戻りました。すると、いつしか体調も回復していったのです。
横田さんは「端から見れば喜寿も過ぎてあくせく仕事をすることはないと思うだろう。しかし、この年になってまだ人々の役に立っていると思えることはかけがえのない喜びであり、同時に生きる力となっていることを感じる。そして、この二つの果樹への関りは天が与えてくださった使命であり宝であると思う」と述べています。
横田さんの事例を見ると、人間の生きる力とは自分だけでなく、他人との関わりで与えられるものだということを知ります。
いくつになっても誰かから必要とされる、誰かの役に立っているということが、精神的に充実して齢を重ねていくために大切なことなのです。