スマートシニア・ビジネスレビュー 20021022 Vol. 21

imagesCA4WAK0D_ハートフォード_2少し間があいてしまい、申し訳ありません。実は先月下旬から先週まで久しぶりにアメリカに滞在しておりました。久しぶりのアメリカは円安が進み、ガソリン以外の全ての物価が高く感じられました。

 

しかし、閉塞感が漂う日本と異なり、スケールの大きいアメリカでの滞在はいつもながら大変爽やかです。そして、今回の滞在は多くの素晴らしい人々との出会いに恵まれ、実り多いものとなりました。

 

その中で印象に残ったものの一つが、コネティカット州のある団体です。興味深いのは、コミュニティのリーダーとして活躍してもらうことを目的に、退職シニアに対して「リーダーシップ教育」を実行していることです。

 

日本でリーダーシップについて系統的に学ぶことのできる機会は果たしてどのくらいあるのでしょうか。大学ではほとんど皆無であり、一部の企業で研修プログラムとしてある程度で、あとは各自が自分の体験で学んでいく以外に方法がないのが現状ではないでしょうか。そして、退職後にはそのような機会すら、ほとんどなくなるでしょう。

 

したがって、リーダーシップ教育を退職者シニアに対して行うというのは、かなり先進的な取り組みといえます。事実、この取り組みが国際的にも評価され、昨年の国連ボランティア会議に講演者として招かれています。

 

この活動の最大の特徴は、「会社組織のヒエラルキー」の中ではなく、「フラットな人間関係」におけるリーダーシップとは何か、ということを教えてくれることです。

 

私は、この活動に、これからの日本の高齢社会を豊かにするための多くのヒントがあるような気がします。

 

日本の社会では、その人が「どういう人」かより「どんな肩書きの人」か、で判断される場合が多く、特に企業や大学などのヒエラルキー社会ではその傾向が強い。電話をするときも、単に「佐藤です」と名乗るよりも「XX商事△△部長の佐藤です」と名乗ったほうがすんなりと話が進みます。サラリーマン時代に「○○会社のXX部長」「△△研究所のXX研究員」であることが、自分が誰であるのかを他人にわかってもらう最も容易な手段でした。

 

上司に対しては、自分が部下であることを理由に、何らかの責任回避を受けることができました。また、部下に対しては自分が上司であることを理由に、権限を行使して仕事をお願いすることができました。

 

また、肩書きがあることで、なんとなく自分がその肩書きにふさわしい能力を持っているような気になり、安心できました。ヒエラルキー社会とはある意味で非常に「便利」な社会です。

 

しかし、退職し、会社を離れるということは、このヒエラルキー社会の外に出るということです。つまり、自分の肩書きがなくなることをふくめ、ヒエラルキー社会のもつ「便利さからの決別」を意味します。これが長年この「便利さ」に慣れ親しんだサラリーマンにとって最初に直面する大きな戸惑いの一つとなります。

 

NPOでボランティアをやりたいといって、退職サラリーマンが門をたたいてきたものの、評判が悪い例が多い。「威張りたがる」「過去のやり方に固執する」「人に言われないと動かない」というのが理由の上位だそうです。これらは全て企業ヒエラルキーの中での行動原理に慣れきったことの弊害といえるでしょう。

 

このような退職サラリーマンに必要なのは「会社組織のヒエラルキー」の中ではなく、「フラットな人間関係」において円満な協力関係を構築できる力量です。先に挙げた団体の先進性は、そのような力量を身に着ける機会を退職シニアに提供していることです。地域社会などのヒエラルキーのない世界で求められるリーダーシップとは何かを考えるヒントを教えてくれるのです。

 

高齢社会とは、上記の退職サラリーマンのような人が増加する社会だといえます。日本でもこのような新しい社会教育の場が必要となる時代も近いでしょう。

 

なぜなら、このようなフラットな人間関係におけるリーダーシップは、ヒエラルキー社会である企業の中にも求められつつあるからです。