スマートシニア・ビジネスレビュー 2005年1月10日 Vol. 63
1月10日は成人の日とのこと。
近年、成人の日には「荒れた成人式」とかいう
馬鹿げた騒動が起こっています。
今年は9日からアメリカに来たので、
どうだったのかはわかりません。
しかし、そうした騒動の根幹は、成人式の形骸化にあると思います。現代の成人式は「倒錯したインチキ」だからです。
成人式の本来の意味は、
人間社会におけるイニシエーション
(入社式、社会の中に入る儀式)です。
古来は元服式として実施されていたもので、
本来6、7歳から12、3歳の頃にやるべきことです。
満20歳での成人式が制度化されたのは、
戦後、昭和23年以降のこと。
これが形骸化の始まりなのです。
なぜ、成人式が形骸化してしまったのか。
それは「成人する」こと、
つまり「大人になる」ことの意味を、
大人自身が身をもって
子供に伝えられなくなったためです。
これは、大人自身が"大人"の意味を
深く考えなくなっていることにあります。
最近、店舗や商品から雑誌や団体名まで
"大人の○○"という名称をつけたものが目立ちます。
しかし、"大人の"という言葉に込められた意味や
価値が何なのか良くわからないものがほとんどです。
こうした"大人"たちによる
"大人の"という言葉の曖昧化によって、
ますます子供は"大人の"の意味が
わからなくなっています。
そして、最悪なのは、
当の"大人"たちすら、
商品提供者側のあいまいな雰囲気に満足し、
思考停止に陥っていることです。
成人式の荒れた騒動の背景には、
こうした大人によるごまかしに対する
子供の抵抗がある気がしてなりません。
"大人になること"の意味とは、本来
社会における責任を持った己になることです。
一方、"子供であること"の意味とは、
無邪気な本当の生きがいをもつ純粋さをもつこと
と思います。
成人式が「倒錯したインチキ」という意味は、
社会における責任を持った己になる、
という意味をつかむことなく、
無邪気な本当の生きがいをもつ純粋さを
成人式を機に捨ててしまうことにあります。
一体"大人"は何をするべきでしょうか?
作家の辻井喬氏は、以前日経新聞に掲載された
「人生論を忘れた大人たち」の中で
次のように語っています。
大人が真剣に人生論を語ると、
「おまえ、いい年をして何、青臭いことを言っているんだ」
と嘲笑されてしまう。
しかし、そういう風潮こそがおかしい。
そういう人は、日々の生活に惰性的に流されて、
自分の人生を語ることができなくなった人である。
一方、ノーベル賞受賞者の利根川進博士は、
昨年、作家の村上龍氏との対談で、
「子供にとっての最良の教育とは、
親がわくわくして仕事に取り組むこと」
と語っています。
大人こそ、真剣に人生論を、
自分の人生の夢を子供に語るべきなのです。
そして、自分の仕事に心底わくわくして
取り組むべきなのではないでしょうか。
そういう大人に年齢の制限はありません。
93歳の日野原重明氏が
若者にも支持されるのも同じ理由でしょう。
子供は、そういう希望に満ちた大人を見て、
同じように希望を持ち、
やる気をもつようになるのではないでしょうか。
私は、そういう大人こそが、
本当に"大人"らしいと思います。
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