コストのかからない高付加価値策

スマートシニア・ビジネスレビュー 2006年11月10日 Vol. 96

sakana-zaru私の事務所のある赤坂に、“ちょっと良い”店がある。

“ちょっと良い”という意味は、美人のママが大勢いるとかいうのではない。和風の居酒屋なのだが、サービス内容が優れているという意味だ。

ランチといえば、紙のメニューに「サンマ定食」などの名称が書いてあるのが普通だ。しかし、その店では、配膳係の年配女性が紙のメニューの代わりに、
その日に仕入れたいろいろな魚を大きなざるに入れて客のテーブルまで持ってくる。
そして、その中から選ぶとそれを調理して定食として持ってきてくれるのである。

この仕組みが優れているのは、自分の好きな食材を自分で確認して選べることだ。

だが、私が感心したのは、定食の名称だけの味気ない紙のメニューの代わりに、
新鮮な生の食材を客の目の前まで持ってきてくれるという“粋”な計らいである。

鱗の光が輝いている魚を目の前で見ることで、食材の新鮮さを
身近に感じることができ、出される料理への期待感が増す。
すると、出てくる料理が、その実態以上に
美味しく感じてしまうから不思議なものだ。

最近、見た目は豪華で値段も立派な“形式的な高級店”が増えている。
それよりもこの例のように、ほとんどコストもかかっていないのに、
客の満足感をぐっと高めてくれるサービスの方が、遥かに印象に残り、
「また、行ってみたい」という気になる。

自宅から車で5分程度のところに昔からあるショッピング通りがある。
よく地方都市にある「○○銀座」のようなところだ。
しかし、数年前に大型スーパーが進出してから、すっかり寂れて、
消えてなくなるのも時間の問題と思っていた。

ところが、いくつかの店は生き残っているばかりか、
以前よりも客の入りが増えている。
そのうちの一つのおでん屋が特に優れている。

注文すると、おばちゃんがおでんの具を頼んだ以上に袋に入れてくれる。
一応料金計算はするが、端数が出れば値切らなくても、必ずまけてくれるのだ。
たかが、数十円のことだが、客としては大変に得をした気になり、
「次はもっと買ってあげよう、また来よう」という気持ちになる。

このおでん屋のような「端数処理」の例は、昔は八百屋でも魚屋でも
たいていの店で当たり前のように見られた。
だがPOS(Point of Sales)でガチガチに管理された
現在のスーパーやコンビニでは不可能だろう。

私は性格的に高価なものを買うときは、たとえ海外の一流ブランド店でも、
必ず一度は値切りを試みる。

以前、DANKAI日本橋アカデミーでご一緒したフォーク歌手のなぎら健壱さんが、
「コンビニの欠点は“値切り行為”を排除したことだ」とぼやいていた。

買い手が値切る行為とそれに応対する売り手の行為とは、
実は単なる価格交渉以上の意味がある。

それは、買い手の“安く買いたい”という気持ちと売り手の”高く売りたい“という
互いの気持ちを通い合わせる「コミュニケーションの過程」なのである。

双方の真のゴールは、安いか高いか以上に、
互いに「気持ちよく」、買いたい・売りたいということなのだと思う。

先に挙げた“高付加価値策”の共通点は、大してコストがかからないことである。
しかし、コストがかからない分、若干“手間”がかかる。
その手間は「肉体労働的な手間」というよりは、
むしろ、気配り・心配りのような「精神的な手間」に近いかもしれない。

先月、国際会議への出席のためにスイスに行き、
国別の競争力世界一と言われるこの国の物価の高さにびっくりした。
だが、会議の主催者が手配してくれたホテルで、この国の競争力の根源を垣間見た。

それは、客に対するもてなしの態度とスタイルである。
そのホテルの規模はそれほど大きくなく、レストランは一箇所しかなかったのだが、
何時にいってもウェイトレスが素敵な笑顔で応対してくれるのである。

笑顔というのは無理に作ろうとすると、それが人に伝わってしまう。
だが、そのレストランのスタッフの笑顔は、ごく自然で、
心の底からあふれ出ているような表情だった。
こうした笑顔でもてなされると、多少値段が高くても許せてしまう。

コストのかからない高付加価値策とは、「精神的な手間」を手間と感じずに、
茶の湯の「手なり」のごとく自然に表現できることなのだと知った。 
 

●関連情報

売れる商品は顧客につくってもらえ - 「使い手」から「担い手」へ

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