保険毎日新聞 連載 シニア市場の気になるトレンド 第6回

第6回図表_村田富裕層ではない一般の人が高額商品を買う理由は何か

 

九州旅客鉄道(JR九州)が201310月に始めた豪華寝台列車「ななつ星in九州」の旅は、高級感ある内外装の車両に乗り、九州の名所を回るぜいたくなものだ。料金は第4期(14年8~11月出発分)の場合、3泊4日で2名一室、1人当たり43万~70万円と高価だが、60代を中心に予約は埋まっている。

 

これだけの高額ツアーなので、参加者は富裕層ばかりかというと、実はそうでもない。筆者の知り合いで、第1期のツアーに千葉県から参加した65歳の女性は介護施設の職員だった。図表1をみれば分かるように、一般に高齢者世帯の所得はそれほど高くない。なぜ、富裕層ではない一般の人が、こうした高額商品を購入するのだろうか。

 

米国ジョージ・ワシントン大学の心理学者コーエンは、過去35年間に3千人以上の中高年を診察した体験をもとに、45歳以降の人の心理的発達の段階は「再評価段階」「解放段階」「まとめ段階」「アンコール段階」の4段階に分かれると述べている。

 

消費行動の観点では、特に「解放段階」が興味深い。この段階は、おおむね50代半ばから70代半ばに訪れるが、通常は50代後半から70代前半に訪れる。

 

この解放段階においては「何か違うことがしたい」、「いまやるしかない」、「それがどうした」「もう、いいじゃないか」というような気持ちを伴った行動が頻繁に見られる。また、自分自身を自由に表現したり、新しいことに挑戦したりする行動も多くなる。

 

今まで抑圧され禁じられていたことから解放され、吹っ切れた気分になることで、社会的な因習も気にならなくなり、これまでにない快適さを味わう人も多い。

 

たとえば、サラリーマン時代は、今までと違ったことをやりたいと思いながらも、家庭の事情や世間体を考えるとなかなかできないことが沢山あった。それが解放段階になると、大企業のサラリーマンを辞めて沖縄に移住してダイバーになる。

 

あるいは、20年間スーパーマーケットでレジ打ちのパートをやっていた主婦が、「レジ打ちはもう懲り懲りよ」といってダンスの講師に転身する、といった一種の「変身」がしばしば見られる。

 

解放段階には「何か今までと違うこと」がしたくなる

 

解放段階では、いまさら失敗しても自己イメージが大きく損なわれることもないので、自分が自分であることが心地よくなる。これが実験的あるいは革新的な行動を好みやすい背景となる。

 

この段階の心境を「いまさら誰かに自分の能力を示す必要はない。奴隷解放のようなものさ」と言った男性がいる。20代の時は他人に才能がないと思われるのが怖くて美術のクラスに参加できなかった男性が、解放段階に入ると、以前ほど他人の目が気にならなくなり、参加できるようになる。

 

こういう気持ちになれば、クルーズに出かけたり、地域のボランティア活動に参加したり、あるいはこれまでやったことのない新たな体験に取り組むこともあるだろう。

 

なぜ、60代前後に「解放段階」が訪れるのか。1つは、この時期には退職や子育て終了、親の介護の終了などライフステージが変わり、家族に対する責任が軽くなるため。もう1つは、脳の潜在能力が発達し、新たな活動や役割に挑戦するエネルギーが湧きやすくなっているためだ。これについて少し説明する。

 

歳を重ねると起きる脳の構造変化と心理的発達

 

私たちの大脳は、外側の灰白質と内側の白質との2つの部位に分けられる。灰白質は神経細胞の集まりで、コンピュータで言えば、電気信号を発信するCPUである。それに対して、白質は神経線維で、コンピュータにたとえればチップ同士をつなぎ、電気信号を伝達するネットワークである。私たちの脳というのは、無数のチップが無数のネットワークでつながっているという構造をしている。

 

私がいる東北大学加齢医学研究所には、これらの体積が年齢とともにどうなっていくのかを実際に生きている人の脳を10年間追いかけて計測したデータがある。これを見ると、年齢とともに神経細胞の体積は20歳を過ぎた頃から直線的に減っていくことがわかる。

 

一方、神経線維は、これとは逆に年齢とともに少しずつ増えていくことがわかる。そのピークは、だいたい60代から70代の間。それを過ぎると減っていくが、80代でも20代と同程度の体積がある。いったい、これは何を意味しているのか。

 

まだ科学的に証明されたわけではないが、神経線維が増えていくというのは、どうも私たちの直観力とか洞察力といった知恵の力に関係がありそうなのだ。もっと平たく言えば「年の功」。

 

つまり、齢を取っていくと情報を処理する能力は落ちていく(ただし、個人差が大きい)が、もっと高度な知恵の力は、年齢とともに増えていくようなのだ。言い換えると、脳の潜在能力は年齢とともに発達していくのである。

 

このようにライフステージの変化に加えて、脳の構造的変化も相まって、心理面の変化が起きやすくなるのが解放段階なのだ。もう人生長くないのだから、自分のやりたいことをやろう、という気持ちが強くなる。すると「インナープッシュ」と呼ぶ自己解放を促す精神のエネルギーが起きやすくなると、コーエンは述べている。

 

インナープッシュには衝動、欲求、憧れなどいろいろの形態があるが、これが消費のきっかけになる。私はこのような形態の消費を「解放型消費」と呼んでいる

 

120万円の商品が 60代女性に売れた理由

 

以前、50代以上の人のライフスタイルを応援する雑誌『いきいき』で、「ボストン・ワンマンス・ステイ」という商品を提案した。これは単なる観光旅行ではなく、憧れの街ボストンで1か月、住むように生活しながら英語を学ぶという知的体験型の旅行商品だ。

 

日本とボストンの往復飛行機代、ホテル代、食費、英語学校の費用などすべて込みで価格は1人120万円。かなり高額に思われるが、告知2週間で30人定員が完売した。30人というのは、消費財を売る人数ならば決して多くはない。だが、富裕層ではない普通の女性が120万円の商品を買うことの意味を考える必要がある。

 

実は商品企画の前段階で、読者からそれまで寄せられていた多くの声から、50代・60代の女性を中心に「何かを始めたい」「リセットしたい」「変わりたい」「いまだから学びたい」という内的衝動を持った人が多いことがわかっていた。そこで、それを後押しする企画にして雑誌で告知したのだった。

 

齢を取っても、わくわくしたい、もう一度夢を見たい、という人がシニア層にも少なからず存在する証拠である。50歳になっても、60歳になっても、70歳になっても、わくわくしたい人はそれなりにいるのだ。もう人生は長くないのだから、自分のやりたいことをやろうという気持ちが、新たな行動を後押しするわけだ。

 

「ななつ星in九州」に参加した先の女性は「夢の列車に、最初に乗れてうれしい」と話していた。富裕層でなくても、列車が大好きで「これを逃したら二度と乗れない」と思えば、へそくりをはたいてでも豪華ツアーに参加する。これがシニア層の消費の一つの断面だ。

 

 

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