スマートシニア・ビジネスレビュー 2006年9月4日 Vol. 92
音響機器メーカーの老舗、ケンウッドが
14年ぶりに高級オーディオ市場に参入する。
団塊世代の退職に伴い高級オーディオ製品の売れ行きが好調なためだという。
オーディオファンならケンウッドというより
トリオという名の方が懐かしいだろう。
私も自称オーディオファンだった学生の頃、
型遅れになったトリオのスピーカーを安く入手してほくそえんでいた。
そのトリオブランドも限定的に復活させるという。
1980年のCDの登場を機に、LPレコードが衰退していった。
そして、LPレコードの衰退とともに、プレーヤーやカートリッジなど
高級レコード機器市場も衰退した。
そして、MDの登場を機にカセットテープが衰退し、
ナカミチなどの高級テープレコーダー市場も衰退した。
10年前に当のケンウッドの担当者から
「オーディオ市場は死んだ市場」と言われた。
死んだオーディオ市場とは「アナログオーディオ」の市場。
これに代わり登場したのは「デジタルオーディオ」の市場だ。
このデジタルオーディオの波がオーディオ市場に大きな変化をもたらした。
それは「誰もが簡単に高品質を得られない製品の市場」から
「誰もが簡単に高品質を得られる製品の市場」への変化だ。
ところが「誰もが簡単に高品質を得られる製品」とは、
他との差別化のない製品である。
これにより、オーディオ製品は、どれも性能・機能に大差がなくなり、
限界費用まで価格が低下した。
この結果、「趣味嗜好品」から「コモディティ」と化したのである。
このようにして、新しく形成されたデジタルオーディオ市場では、
アナログオーディオ市場に存在したものが失われた。
それは、聴き手が音質を少しでも良くするために
「自分で工夫できる余地」である。
たとえば、アナログレコードの再生では、高音質で聴くために、
プレーヤーの構造、カートリッジの種類、アームの品質、
レコードをのせるターンテーブルの材質、テーブルシートの材質までが
微妙に音質に影響を与える。
こうした無数の組み合わせの“妙”を追求するのが
大きな楽しみであり、そこには夢があった。
しかし、デジタルオーディオの波は、
商品を画一化というオブラートで包み、
聴き手からこうした楽しみをすべて奪い取り、
聴き手が何も関与できない「ブラックボックス」にしてしまったのである。
団塊世代が退職して高級アナログオーディオに回帰するのは、
単にビートルズの赤いEPレコードが懐かしいからではないだろう。
団塊世代が心惹かれるとすれば、それは
お金がない代わりにオーディオ雑誌を読み漁り、
買いもしないのにオーディオ店に何度も足を運び、
音質を少しでも良くするために自分で工夫できた
「自由」を取り戻したいからではないか。
そして、その自由を失ったとともに無くした
「遊び心」をもう一度取り戻したいからではないのだろうか。
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