スマートシニア・ビジネスレビュー 200371 Vol. 31

CCRC_image私は615日から29日までアメリカにいた。今回の訪米の主な目的は、ニューヨークで行われた シニアマーケット分野の専門家会議への出席であった。

 

この会議にはアメリカのこの分野の錚々たる人達が集まった。広告大手JWトンプソンのマチュア・マーケット・グループのメンバーや ヤング&ルビコムのマーケティング担当などが興味深い発表をしていた。会議ではさまざまな話題が飛びかった。

 

しかし、その中で参加者全員が異口同音に感じたことがある。それは、この分野を語るための「新しい言葉」を必要としていることだ。

 

例えば「シニア」という言葉は、日本では最近多くのメディアでも従来の「シルバー」や「高齢者」「熟年」などに代わる言葉として 使われることが多い。私自身「スマートシニア」という言葉を提唱し、 「アクティブシニア」という言葉も使ってきた。

 

しかし、旧知のとおり、アメリカでは「Senior」という言葉には、 日本でいう「高齢者」のニュアンスが非常に強い。 このため、50代後半にさしかかったベビーブーマー世代の近未来を語るときにはもはや適切な言葉ではない。 また、「elder」「elderly」という言葉も、シニアとは若干ニュアンスが異なるが、 やはり年長者を表す旧世代の言葉として使われる傾向が強い。 参考までに、「シルバー」は和製英語であり、アメリカでは使われない。

 

一方、日本でも一部の人が「サードエイジ」という言葉を使っている。この言葉はもともとヨーロッパで使われ始めた言葉だが、 成人までをファーストエイジ、成人後をセカンドエイジと呼び、 その後の発展段階をサードエイジと呼ぶのがもともとの定義のようだ。

 

しかし、この言葉ですら実はアメリカでも市民権はない。人によって45歳から60歳程度を対象にする場合もあれば、 60歳以上を対象にする場合もある。 私がメンバーになっているコネティカット州のNPOが実施している プログラムの名称は「Third Age Initiative」だが、参加者の年齢層は、50代後半から70代後半までと幅広い。

 

アメリカでは、人種差別、性差別とならんで年齢差別(エイジズム)の解決が、歴史的に大きな課題となっている。 このひとつの具体的事例として、「雇用における年齢差別禁止法」という 日本にない法律が制定されている。この法律は、一言で言えば、企業が従業員を雇用するときに、年齢によって差別することを 禁じたものである。最初の制定は1960年だったが、 その後の論争を経て、80年代についに年齢の上限が撤廃された。

 

これによれば、企業は従業員が一定の年齢になったからといって、強制的に退職させてはいけない。 つまり、日本でおなじみの「定年退職」は、アメリカでは 多額の退職金を受け取る一部の例外的な職種を除いて違法となる。

 

以前、このビジネスレビューで紹介した映画「アバウト・シュミット」では、主人公のシュミット氏が退職するシーンが映画の冒頭に出てくる。 日本語訳では「Retirement」のことを「定年」と訳していたが、前述のとおり、定年という制度はアメリカには法的には存在しない。 実際、シュミット氏が「退職」したのは、68歳であり、「定年」という制度で「退職」したわけではない。 (もちろん、アメリカでも年長者に対して間接的な"退職圧力"が 存在するのは映画のとおりである)

 

アメリカでは、もともとこのようなエイジズムへの対応として、人を年齢に関わる言葉で呼ぶことを避けようとする傾向が強い。 したがって、日本でシニアと呼んでいる年齢層を対象とした表現として 最も一般的でよく使われる言葉は「Older Adults」である。 日本で言えば「中高年」のようなものだ。 (もちろん、生まれた世代を時代背景とともに表現する Cohort としての呼称である「Baby Boomer」「Generation X」などは、 一般的に使われる。)

 

一方、先にあげた「Retirement」という言葉については、 それをどう「再定義」するのかが、アメリカでも議論の中心となっている。

 

少し昔にアメリカに駐在していた日本人には、アメリカで「Retirement」というと、気候のよいアリゾナ、フロリダの サンシティのようなところに移り住んで、朝から晩までゴルフ三昧、悠々自適でのんびり暮らす、いわゆる「ハッピーリタイアメント」を 想像する方が多いようだ。 しかし、現実には、このような「ハッピーリタイアメント」のイメージは すでに時代遅れとなっている。サンシティなどの旧来型リタイアメント・コミュニティでは、 新規の入居者が減り、居住者の平均年齢は上がる一方である。

 

この最大の背景は、日本同様、高齢者意識の薄い「高年齢者」が増えてきたことにある。そして、そのような新しい世代に対応した サービス開発が必ずしも追いついていないことだ。

 

Reinventing Retirement(リタイアメントの再創造)」、 「Recasting Retirement(リタイアメントの再定義)」、 「The word of Retirement should be retired (リタイアメントという言葉自体リタイアしろ)」 「Don’t retire. Rewire.(リタイアするな。新たなつながりを創れ)」 などの多くの言葉がアメリカでも飛び交っている。

 

この背景には、「Retirement」という言葉に、 単に長く勤めた会社を退職するというより、 「社会的なつながりの喪失」というニュアンスが強いことにある。したがって、「Retirement」という言葉を再定義するという意味は、 そのような立場に立った人が、どのような社会的つながりを、いかなる方法で創り出すのかということを意味する。

 

日本では定年を境に自分の老後をどうすごすか、そのための準備をどうするかという議論が多い。 しかし、このような考え方は、 自分の人生の判断基準が、 あくまで「会社」にあることが多い。 これは、英語でいう「Independent(自立的な)」な生き方ではない。 アメリカにいると、このIndependentという言葉に頻繁に出くわす。

 

Independence には、他人の介助なしに生活できるという肉体的なものと、他人の経済力や影響力に頼らず生活できるという精神的なものとがある。 日米の年長者における違いで目立つのは、 特に後者のIndependenceの有無だ。たとえ、CCRC(元気なうちから入居でき、要介護状態になっても 継続的に住むことのできる住宅コミュニティ)に移り住んだとしても、可能な限り自分の力で何とかしようとする。 日本の老人ホームでよく見られる過保護体制とは対照的だ。

 

Independent」な生き方とは、個人主義的な生き方では決してない。 社会との関係において、自分の人生をいかに有意義に全うするかを問い続ける姿勢のことだ。 アメリカですら、エイジングに対する社会的な見方は まだ旧来型でステレオタイプなものが多い。

 

しかし、ここ数年若い世代のオピニオンリーダーが登場し、世代を超えて本気で議論する動きが出てきている。 このような普遍的なテーマを一部の学者や政治家だけに とどめておくのはあまりに惜しい。議論は、まだ始まったばかりだ。新しい言葉そのものに意味があるのではない。

 

新しい言葉を創りだすために、一人一人が深く考え、心の汗をかくことこそが大切なのである。

アメリカで学ぶのは、いつもそのことだ。